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ホクレア(アルクトゥルス)を眺めながら [ホクレア号]

ホクレアの日本航海にクルーとして乗船しておられた荒木汰久治さんと内野加奈子さん。
お二人ともとってもステキなオーラを放っていました。。
私、椋野漁港の入港イベントが終わり、クルーのみなさんをずっと遠くから見ていたんですが
内野さんが私のすぐそばを通って船に戻ろうとしていた時に、何かふと伝えたいなと思い
「内野さん」と声をかけたんです。そしたら「こんにちは!」って
疲れも見せずに笑顔で応えて下さり、その時、内野さんがご自身のブログに書かれていた
嵐の後に沖縄を見つけたときのお話が頭に浮かんできて、胸に込み上げるものが、、。
もう、言葉にならず、、(涙もろいんだよなあ、この頃やけに)
内野さんの健闘を讃えるつもりが、逆に手を握って下さったんです(汗)
内野さんは母なる海のように大きな方だなって思いましたよ。(感動でした)

そして、もう一人の荒木さん。
海人ですね〜、ウォーターマンです。真摯なまなざし、言葉に嘘がない。
まさにナイノアさんに続く行動の人、この人のパワーに触れた人は
みな何か行動を起こすに違いない。そんな注目の人です。
出航前日、高校生の宿泊体験はホットで楽しそうでした。
一緒に見ていた大学卒業したてのオーシャンが「高校生でこんな体験うらやまし〜〜」と
まじで言っていました。ガンバレ、大島商船高専!女子も数人いましたね。
この夜はナイノア・キャプテンが参加するスペシャルメニューだったようです(スゴイ)

おまけに、、ナイノアさんは荒木さんの新品のアウトリガー・カヌーを借りて
一人海に漕ぎ出てゆきました。1時間以上も。。
(きっと、ヨシさんを想いながら夜の瀬戸内海で感慨に浸っていらしたのではないかなあ
と想像いたします。)
またまた、おまけですが、海から戻られたナイノアさんと4〜5人の生徒さんを
連れた先生がちょうどその場で出会い、ナイノアさんはその先生と生徒さんたちに
星を指差しながらスター・ナビゲーションを伝授されたのでした。
ホクレア号と夜空に光るホクレア(アルクトゥルス)を眺めながらの
なんとも素敵な夜でありました。


日本ハワイ移民資料館へ [ホクレア号]


3日目はこれといったスケジュールもなかったので、祝島へのフェリーの中で一緒になった
オーシャン青年に声をかけて日本ハワイ移民資料館を訪ねました。
(親切な役場の方が車で送って下さったのです)
1885(明治18)年、944人を乗せた「シティー・オブ・トーキョー」がホノルルに到着。
3年間の契約労働に従事するため30ヵ所のさとうきびプランテーションへと分かれて
いったのでした。
資料館にはその時の写真が大伸ばしにして展示してありました。
初期の政府監督下で行なわれた官約移民だけでも29000人の日本人が海を渡ったそうです。

今回のホクレア号日本航海の大きな目的の一つは、日本からハワイに渡り現在のハワイの
社会をハワイ人と共に築いた祖先の人々への感謝を表すことだったと云います。

さて、帰りはこれまた、資料館で出会ったラジオ番組の取材に東京から来ていたKさんの
車に便乗させていただき、ステキなカフェに寄ってお昼を食べながらあれこれおしゃべり。。
(レポート、こんなにのんびり、ゆっくりでゴメンナサ〜イ)


ヨシさんのこと [ホクレア号]

今年2月に石垣島に行った時、民宿に置いてある本棚の中の
コヨーテという雑誌がふと目につきました。
パラパラとめくると、地球交響曲第3番に登場するナイノア・トンプソン氏の
インタビュー記事が目に入りました。
そこにはとても印象に残る、驚くべきことが書いてありました。
インタビューの内容はこうでした。
ナイノアさんが幼い頃、酪農をしていた自分の家の敷地内に
日系人のカワノ・ヨシオさんという人が住んでいていて
ヨシさん夫婦にナイノアさんはとてもかわいがられ、忙しい両親のかわりに
よく海へ連れて行ってもらったそうなのです。
ヨシさんと一緒につりをしたりする中でナイノアさんは人間と海とのつきあい方、
海を愛する心を学んだと言います。

このお話はホクレア号を応援する方たちには常識というか、
よく知られることのようですが、映画を見ただけの自分には
このナイノアさんのエピソードは驚きでした。

周防大島にホクレアが寄港した翌日の午後、ナイノアさんやクルーの方の
講演会があり出かけました。
クルーの方が順番に今回の「西の太陽に向かう航海」の意味について
映像を交えわかりやすく丁寧にお話しして下さいました。
ナイノアさんはホクレアをハワイのレイに例えて、たくさんの島と島を繋げる
役割を果たしたいと希望を語り、さらにハワイの歴史や日本からハワイに渡った
多くの移住者の歴史に触れました。
それから、ヨシさんの話しをとても詳しくお話しして下さいました。
「ヨシは日本の文化を大事にしながら、ハワイの文化にも敬意を払って生きていた。
私が今こうして伝統航海師としてあるのはヨシという一番の先生が
いてくれたからなのです。」
とても温かな、清々しい空気が会場を包んでいました。
巡りめぐる魂の環を、海は遥か彼方から運んできたのです。


航海の立会人 [ホクレア号]


ホクレア号には男と女2体の木彫り人形が括り付けられていた。
ウィル・クセルク著「星の航海術をもとめて」によると、女性の人形は
目撃者を象徴するものとある。



ホクレアと子どもたち [ホクレア号]


朝から小学生の写生大会が始まる。
ホクレアのクルーの一部はセールを換える作業をやっている様子

保育園の子どもたちもホクレアとご対面。

最年少のクルーは福岡から乗船したという高校生のスカイ君 
子どもたちに大人気だった
ビスケットをみんなに振る舞ったり、質問に答えたりして
シャイであどけなさの残る顔に時おり、海の男の逞しさが感じられました


翌日も晴天なり [ホクレア号]

花火が終わるとすでに8時過ぎて真っ暗だ。
宿泊予定のひふみ旅館のご夫婦が車で迎えに来て下さった。
新鮮なおさしみや煮付けの夕飯を頂き、早めに就寝。
翌朝は4時に起きて、自転車を借り海岸線を走る。

何だかちょっと懐かしい
私の原風景が、そこにあった


夕暮れて [ホクレア号]

言葉になんかならない

ただ黙って見ていた。それだけ


ホクレア号とクルーのいろんな表情を1 [ホクレア号]

今回のホクレア号撮影は一個人としての興味から。
連載中のフォト・エッセイ「いのちのプリズム」に文と写真を載せる予定でいます。
1回ではもったいないなあ。2回連続なんてありかしら(編集のNさんに相談しよう)

周防大島に向かったのは急な展開だったけれど、ハワイ州観光局の許可も得られ
ブログにも掲載許可をいただいたので、せっかく撮ったデジタル撮影の分をできるだけ
たくさん載せようと思っています。(すっかり魅了されましたので)



歓迎の人たちに自ら進んで握手を求め、「アロハ」と満面の笑みでうれしそうに
挨拶していらっしゃったナイノアさん。
特に小さな子どもを見ると、腰をかがめこんな表情で。。


ホクレアは椋野漁港へと回航 [ホクレア号]


椋野(むくの)漁港ではたくさんのグループがフラを踊りながらお出迎え


熱い歓迎に「アイハア・ホクレア」で応えるクルーたち

やっぱり、家族なんですね。。


大島商船桟橋に到着 [ホクレア号]

祝島から帰りのフェリーを待つ間、たまたまホクレアに遭遇したという写真家Fさんと出会い
途中の港から寄港地の小松漁港まで車に同乗させて頂きとても助かりました。
海沿いの道から眺める景色は素晴らしく、入港にもギリギリセーフ。
そして、なんと停泊地である椋野漁港まで送って下さったのです。
今回の旅では本当にいろんな方にお世話になりました。感謝!


ゆっくり、ゆっくりと進むホクレア号の姿はとても優美で存在感がありました。

午後2時、大島商船桟橋に無事に接岸。


桟橋には700人あまりの方が出迎えたそうです。

クルーが踊る「アイハア・ホクレア」という力強いフラ

チャド・バイバイヤンキャプテン